弱者であるということ

「弱者がいるからこそ、強者が存在できる。この世から弱者が根こそぎいなくなれば、今度は今まで強者だった人が弱者になるであろう。」

 

 

 

中学生時代、そんなことを考えるのが黒兎でした

 

 

 

中学生時代、黒兎は、一切勉強をしませんでした。

 

 

 

「何かで強くなる、ということは、つまり、【誰かを蹴落とす】、ということであり、それは虚しいことである。」と

 

 

 

例え勉強ができて、お金持ちになったとしても、それは変わらない。と

 

 

 

いかにも正しいように見えますね。

ですが、そこには落とし穴がありました。

 

 

 

黒兎は、親に育てられることによって、生活しているということです。つまり、誰かの御厄介になって生活しているということでした。

 

 

 

そうして自立できていない状態でありながら、そういう「いかにも高尚なこと」を思い、満足しているのが、黒兎の真の姿だったということでした。

 

 

 

なぜこうなったか?と言えば、それは黒兎が、勉強の本当の大切さを知らなかったからかもしれません。

 

 

 

小学生時代、中学受験を志していた黒兎は「勉強は将来エリートになるためにやるものだ」と思っていました

 

 

 

しかしそれって身勝手な自己中心的な思想に他なりませんでした。

逆に言えば、黒兎は、誰かに尽くすことというのを度外視して生活していました。

 

 

 

その反動が中学生時代だったのです。

 

 

 

しかし大人になった今となっては、それは間違いだったと分かります

 

 

 

例えば、黒兎がお金持ちだったとすれば、黒兎はその分、多くの人を救うことが出来るからです。

震災の募金をすることもできる。

困っている人にプレゼントをあげることだってできる。

 

 

 

そういうお金の使い方もあったのです。

 

 

 

それに気づかない黒兎は、今も昔も、自分勝手な自己中野郎に過ぎないのでした。